素盞雄神社(すさのおじんじゃ)
素盞雄神社公式サイト


小塚原・三ノ輪・下谷通新町・三河島・町屋など、区内で最も広い地域を氏子圏とする鎮守で「てんのうさま」とも呼ばれる。
石を神として尊崇する信仰は全国各地にみられるもので、当社も石神信仰に基づく縁起を有する。 延暦十四年(七九五)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命[すさのおのみこと]・事代主命[ことしろぬしのみこと])が現れて神託を告げたという。そのためその石は「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祭る。
宝暦年間頃(1751-64)まで行われていたという千住大橋綱曳は、その年の吉凶を占う当社の神事で、「東都歳時記」(天保9年)にその雄壮な様が描かれている。
鎮座地
東京都荒川区南千住6丁目60番1号
祭神
素盞雄大神(須佐之男命)
飛鳥大神(事代主命)
蘇民将来子孫也
御祭神須佐之男命(すさのおのみこと)が遥か遠くの南の海に妻問いに出かけたときのこと。陽はすでにとっぷりと暮れ、旅に疲れ果てた須佐之男命は蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦将来(こたんしょうらい)という名の兄弟に宿を乞った。
裕福で立派な家に住む弟の巨旦将来は、顔もやつれ衣服も汚れたその姿を見て、惜しんで貸さなかったが、家も小さく貧しい生活をしていた兄の蘇民将来は、粟の飯をもって精一杯のもてなしをした。
そして歳月がたち、再びその地を訪れた須佐之男命は蘇民将来にそのことを感謝し、『後世、疫病が発生した時、あなたの子孫たちは《蘇民将来の子孫である》といって茅(かや)で作った小さな輪を腰に付けなさい。きっとそれから逃れ得ることでしょう』と伝えた。
いつしか巨旦将来の子孫は絶え、蘇民将来の子孫はいつまでも栄えているという。
この『蘇民将来子孫也』は、ふりかかる災厄から御祭神須佐之男命にお護り頂く言葉として現在に伝わっている。
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